表題は、金井美恵子さんの作品から勝手に借用。怒られそう。その余はほぼ自分で。

ジミー・ウォン(王羽)


 中国映画の「武侠」とか「投名状」の監督の陳可辛が、少年時代に過ごしたタイで、生涯で初めて見た映画は、王羽が主演の活劇だったと回想していて、わたしが初めてみた香港映画も、王羽の主演モノだったわい、と懐かしく思い出したわけで。

 その王羽が、4月初めに亡くなっていたことを最新の「キネマ旬報」(5月上・下旬合併号)が伝えている。80歳。日本では、座頭市もので勝新太郎とも共演した。

 「武侠」は、金城武なんかが出ているなかなか見ごたえのあるカンフー映画で、王羽は、敵役の党項族の首領となって最後の最後まで飽きさせなかった。

 当時はもう70歳代の半ばだったから、老境につき体つきはややむくんで動きも乏しかったのだけれど、周りが盛り立ていたのだ。あの映画は、スタントマンなしの身体を張っての本格映画で、副首領役の美人女優の恵英紅なんかも、よくやったと思う。

 香港映画界にあって、いまや欠かせない人材のひとりとなった谷垣健治さんのことを知ったのも、この映画から。谷垣さんは、「扉をたたけば、道は開ける」といった人生訓を実践した方で、その生き方は、とても味わい深いものがある。

 なにごとも、まず扉をたたかないとはじまらない、みたい。

孫中山の由来

 明治天皇の母の第一位の局中山慶子は、花山院流中山家の出で、長兄中山忠愛は、侯爵に叙されて、日比谷に邸宅を構えた。

 中国の国民党を主導した孫文は、1911年の辛亥革命に踏み切る前は、本国の清帝国の官憲に追われてしばしば日本に渡り、犬養毅をはじめとする支援者のもとを渡り歩くとともにひそやかに同志を糾合していた。 

 日本への入国に尽力したのは、中国に傾斜していた平山周で、ある晩、ふたりで京橋の旅館に投宿することになったおり、宿帳に氏名を記すにつけ、孫文は、警戒して本名の記名を避け、日比谷の邸宅の表札にあった「中山」と記名し、これを日本名とした。

 その後、孫文は、「孫中山」として、あまねく知られるようになり、「中山先生」となって、南京にある墳墓は「中山陵」、広州には、国立中山大学という名門校さえある。中国共産党は、孫文の影響下にもあったから、孫文の国父としての地位に揺らぎはない。

 まあ、知っていて「中山」を名乗ったのだろうけれど、中国で由来を知っている方は、こんなことにはあえて触れないし、日本のほうも、過去のはなしを持ち出して、相手を当惑させる必要もないのだけれど、こんな話もあるということで、備忘のために記します。

 もしかしたら、それは、光緒帝の新政を、結果として潰した西太后への当てつけがあってのことなのか、とも疑う。

ベルファストとカモンカモン

 どちらもモノクロで、4:3のスタンダードサイズの家族映画。前者はイギリス映画で、後者はアメリカ映画。どちらも、作者の少年時代の思い出を反映させた内容ながら、前者は、祖父母と父母に温かく育まれたベルファストの街をとををたどっているのだけれど、後者は伯父と甥の組み合わせだから、(まだ書きかけ)

アインシュタイン方程式

 

ちょっと難解で手に負えないのかなあ、と思いながらも、肝心の数式は無視しつつ、なんとか読了したのが、須藤靖「宇宙は数式でできている」(朝日新書)。週刊文春での書評欄でほめていたので、<Amazon>買いをした。

 読んでよかった知らない世界。

 おかげ様で、いわゆる「ビッグバン」から遡って、その前の宇宙は、いったいどんなもんだったのか、という長年の疑問は、この本を読んで解消した。

 「そんなことは、わからない」

 これが須藤先生の回答で、たとえて、誰もが、自分自身でさえ、自分が生まれてくる前のことはわからない。なんのために生まれてきた、あるいは生きている、生かされていることすら、自分自身で説明することはできない。

 いくら138億光年の宇宙の深淵を探っても、宇宙の始まりにはたどり着けないらしい。宇宙がスタートしてからしばらくは、なにもかもぐちゃぐちゃで光が出てこれず、「宇宙の晴れ上がり」となった38万年後に、やっと太古の光が放射されて、それがいまも太陽系に届いている、というか、わたしたちの身の周りに存在しているのだとか。

 宇宙の始まりが138億年前とかその38万年後の「晴れ上がり」とか、身近なところでは、なぜ<ZOZO TOWN>が乗った打ち上げロケットが垂直に打ちあがって、地球の周回軌道を猛烈な速さで回っている国際宇宙ステーションと、特定空間で問題なくドッキングできるのか、などなど。なんでそんなことがわかるのかというと、宇宙学だけがもっている歴史的な積み重ねの研究の成果と観測の結果で、方程式があって、そこに変数の数字をいれると、結論がでてくるらしい。

 これ(↑)が、宇宙のすべてを説明するアインシュタイン方程式で、「時空=物質」という考え方を数式で表現できるのだそうだ。

 「わからなくてもいい」と、須藤先生は繰り返しているのだが、わかりようがない。

 2世紀のプトレマイオスに始まった天文学は、関ケ原の戦いのころに、ガリレオ・ガリレイが、望遠鏡で木星とイオ、エウロパ、ガニメデ、カリストの4衛星を観察し、その後、コペルニクスが地動説を唱え、ケプラーが惑星が楕円軌道を描くことを発見し、ニュートンがそれを実証し、アインシュタインが一般相対論で宇宙を司る物理法則を説明して、おおまかにいって、現在に至っている。

 いわゆるビックバンで宇宙は始まり、なんでも吸い込むブラックホールがたくさんあって、銀河星団があちこちにあって、宇宙は、よくわからないダークマターなんかでも満たされていて、しかも猛烈な速さで膨張している。ーーこんなことが常識になったのは、上記の天文学者が寄与しているわけなのだけれど、わたしたちの好奇心も相当なもので、天文学者だけでなく、それを曲がりなりにも理解し、ノーベル賞なんかで、その成果を称賛し、見果てぬ地平を探求し続けるといったことは、人間が人間たらしめている証左のひとつなのでしょうなあ。

iPhone SE 3

  

 わたしとて時代の子だから、パラダイムからは逃れようがない。まあ、そんな大げさな話ではないのだが。

 新製品の<iPhone SE 3>(↑)が発売となって、手にしていた<iPhone 8>は、「もう古いのだ」とささやかれ続けて洗脳されて、ついに<iPhone SE 3>に乗り換えてしまった。古い<iPhone 8>は、9000円で下取りをしてくれた。

 中身が入れ替わって、スクリーンが鮮明。電気の充電速度は速くなった。とはいえ、サイズとボタンとかの外観は、<iPhone 8>とまったく同じだから、替わったものへの新味はそれほどない。というのが正直なところで、それでも扱い慣れていたものが、形はそのままという安心感はあってーー。で、わたしは、なにをいいたいのだろう。

 ついでに、<UQ>のUクイーンが、「ずっとお得なのだ」と連呼するものだから、<au>から<UQ>に乗り換えてしまった。電話代の支払いは、月あたり1000円ほど安くなる見込みながら、「回線は同じで、料金はずっとお得です」といって、親会社の長年の利用客を、子会社が同じ商品の安売りで奪って、これって、連結決算的には、どんなメリットがあるのだろうか。でも、電話代が節約になるからいいか。

 つぎは、<Windows 11>というパラダイムの話で、わたしの母艦PCでは、油断すると勝手にやってしまいかねない勢いがつづいている。

 有料クラウドサービスの<box>に、突然入れなくなってしまったのは、このバージョンアップのせいと疑っている。利用できないのに、料金を払えという督促めいたメールが来着した。カードの引き落とし払いにしているのに。困るのだよ、こういうことは。それに<Becky>は、まだ対応していないのだろう。「信長の野望」も、もしかすると断念することになるのかもしれない。

 <MS Explorer>については、この6月15日でサポートを打ち切ると脅されている。代わりに<MS Edge>を使えというのだけれど、「なんですか、これは」という出来栄えで、とても常用はできない、と思っていても、東京の片隅で暮らす一介の民間人(市民とか善良な人々を指す表現として最近、これが多い)は、とても抵抗できない。巻き込まれて流されていく。どこどこ行くの。

バンコク行の続き

 ヤワラートにある三角ホテルこと「中国大酒店」(↑)の前には、通りをはさんで、シノワズリーぶりが人気の四つ星ホテル「シャンハイ・マンション」があって、夜には、正面のオープンスペースで、「上海バンスキング」の型通り、きちんとした身なりの黒タイ姿で、ジャズの生演奏とかやっている。

 通りの歩道には、それなりの屋台が並んでいて、ジャズが流れるなか、ややミスマッチながら、ゴムサンダルのオバサンたちが、もちろんドリアンなんかも売っている。

 <KEEN>のサンダルに、モンベルの短パン、ユニクロのシャツといった定番の耐暑姿で、ドリアンを買って、「シャンハイ・マンション」の通りに面したテーブル席に腰を下ろし、「さて、喰らうか」と、ドリアンを覆っていたラップをはがしたとたん、やっぱりウエイターがとんできてーー。

 みなさんが大好きなドリアンをめぐっては、逸話に事欠かない。

 きちんとしたホテルには、「室内に持ち込まないでください」という注意書きがあって、たばこよりも神経を尖らせている。まあ、あの匂いだから、ね。バンコクへ商用で出張した折、土産としてドリアンを買って、空港検疫を避けるために、接待用の一張羅のスーツとともにスーツケースに詰めて帰国した方がいたそうだ。あるいは、アルコールとともに食せば興奮しすぎてしまう、とか。

 アボガドの果肉よりも、もう少し軽い粘りがあって、黄色味がかり、やや反吐がでそうな甘い香りがとても強い。突起で覆われた外殻は、大きく重い。マレーシア北部のペナンとか、タイ南部のソンクラあたりが特産地で、果実が落下して毎年のようにけが人が出るのだとか。

 あれから2年余が過ぎて、外国からの観光客が減ったバンコクは、少し変化したようで、ヤワラート通りには地下鉄が延伸し、フワラポーン中央駅が廃止になってしまったのだとか。ここあたりでファランたちが隠れて買い求めたマリファナも、医療用として合法化されたみたい。

 ワクチンは、もう3回も打っているし、陰性証明があれば、ドリアンを食べに再度出向くことはそれほど難しくないようなんだけれど、もし罹患したら隔離だから、ね。会社のこともあるし、まだまだ。

わたしなりのご飯

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staub ラ ココット

 コロナ禍に巻き込まれてから、もう2年余が過ぎてしまった。海外旅行に出かけることもなくなった。どこにもいけない。JTBとかHISの経営が苦しいわけだ。JALとかANAももちろん。
 タイ・バンコクの某ホテルのバーで、メコンウィスキーをやっていたら、中国のご婦人客がバーに独りで入ってきたものだから、上品な(!)ほほえみとともに、隣席に招待したことがあった。

 「大姐」と呼びかけたら、「わたしの場合は、小姐と呼ぶべきだ」と笑って返してきたさばけたお姉さんで、山東省の青島で家具の製造業(二代目)をしていて、素材の買い付けにバンコクにきているのだとか。日本にも行くとか言っていた。

 で、日本人のわたしに聞きたいことは何でしょうか、と尋ねたところ、「あなた方は、日常的に何を食べているのか」という問いかけが、まっさきにあった。

 この返事は一般的には簡単なのだけれど、言いよどんだのは、わたしは一合炊きにこだわっていて、ご飯は、忙しくなければ、自分でいつも小一時間をかけて炊いている。これまでに軽い焦げ目を狙ったあげく、土鍋を焦げ付かせていくつかダメにしてもいる。

 いまは、土鍋をあきらめて、フランス製の鋳鉄ニッケルメッキのストウブ「ラ ココット」に落ち着いているのだけれど、これでどうやってご飯を炊くかのかというとーー。

① お米を研いだあと、30分ほど水に浸す。

② ざるに上げて、5分ほど水を切る。

③ 所定の分量の水とお米を「ラ ココット」に入れて、弱火で、蓋をせずに中身がふつふつと泡を立てるまで待つ。

④ 頃合いを見計らって、蓋をかぶせ、さらに火を弱めて10分間炊き込む。

⑤ 10分が過ぎたら、火を止めて、さらに10分間蒸らす。

 これで炊き上がり。

 こんなことを、初対面の中国の方に説明すれば、「変な日本人」と認定されることは必定だから、まあ、無難に一般的な説明をしておいた。朝食は、パンだね。昼食は麺類。夕食はご飯が主体、とか。

 一期一会。

 いまは、東京の自宅でちんまりとしているだけ。あれが最後の外国行になったとは。